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日本遺産特集 箱根八里

2018年5月に日本遺産に認定された「箱根八里」の魅力を紹介します。

箱根八里とは

江戸時代には江戸を中心に五街道が整備されました。そのひとつ東海道のうち、小田原宿から三島宿までを旧箱根街道といいます。
そして、小田原宿から湯本を経て箱根宿までの四里を東坂といい、箱根宿から三島宿までの西坂の四里を合わせて「箱根八里」とも。
こちらでは、東坂(小田原宿から箱根宿まで)の中で、箱根にある見どころをご紹介します。

畑宿の集落

畑宿は旧箱根街道の宿場間に開かれた集落のひとつ。箱根は木が多いので、古くから木工細工が盛んでした。とくに戦国時代、北条氏が木工を奨励したことで盛んになったのだそうです。とくに畑宿では積極的に取り組み、今でも寄木細工の職人さんたちが多く住んでいます。高低差のある地形のため育つ木の種類が多いのも、寄木細工に適した土地柄と言えるのでしょう。

寄木細工

寄木細工は天然木の色の違いを活かして幾何学模様などを作る木工細工です。木を圧着してパーツを作り、さらにそれを組み合わせて仕上げたら薄くそいでシート状にし、さらに製品へと加工します。小さな模様は一つひとつ色の異なる木を組み合わせて作られ、細い線の一本一本までがすべて木なのだと思うと、その作業の緻密さにため息がこぼれます。

小物入れや小引き出し、からくり箱などがよく知られていますが、最近はシート状にした素材をラミネート加工し、財布などに仕立てた製品もあります。また、木を圧着したあとろくろで挽いて器などに仕立てたものもあり、一つひとつ模様が違うのが面白いところ。どれも天然木ゆえのナチュラルな雰囲気とクラシックモダンな模様がおしゃれな雰囲気です。

畑宿一里塚

街道には、道行く人々の目印になるように、およそ一里(約4km)ごとに一里塚が築かれました。畑宿にあるのが、江戸から23里目の一里塚。“塚”というだけに高く盛り上げられた土の小山が、街道の両側に一対で立っているのです。まるで門のようでもあり、道の両端を示しているようでもあります。いずれにしても、木々に埋もれることなく存在するこの大きな塚が、旅人に「ここで一里」と知らせる目印だったことがよくわかります。

箱根旧街道石畳 西海子坂

天下の険と謳われた箱根の峠道は、雨が降るとすねまでつかるほどぬかるんだと言われています。そこで歩きやすくするため、石畳が敷かれました。現代でいえば、道路の舗装のようなもので、箱根街道の各所に残っています。

畑宿の奥に伸びる西海子坂(さいかちざか)もそのひとつ。箱根きっての急坂と言われるだけあって、なかなかの険しさ。江戸時代、この道に石を敷き詰めるのはさぞ大変なことだったでしょう。しかもけっこう大きな石もあり、当時の人足の苦労がしのばれます。

西海子坂を上っていくと左手は急峻な崖、右手には深い森が続きます。森の植物たちのおかげか、清々しい空気感が漂い、思わず深呼吸をしたくなるような癒やしスポット。そして保存された石畳の道の下は車の往来が激しい国道1号線が通り、過去と現在がクロスするような不思議な気持ちにもなれる場所です。

甘酒茶屋

旧箱根街道沿いに一軒の甘酒屋さんがあります。その名も「甘酒茶屋」。当代で十三代目を数えます。記録は残っていないそうですが、一代あたり30年としても400年近くまでさかのぼりますから、およそ箱根宿ができたころから続いていることになります。

ここは山中にありながら少し平らになっていて、休憩するのにもってこいの場所。江戸から西へ行く人は、関所前に身支度を整え、西から江戸方面を目指した人は、関所を抜けてほっと一息というところだったでしょう。そして、多くの人々の疲れを癒やし元気づけたのが、このお店の一杯の甘酒でした。

米麹を発酵させてほんの少しだけ塩を加える甘酒は、絶妙な塩加減で奥深い味わい。ノンアルコールなので、年齢を問わずにいただけます。10年前に建て替えたという、囲炉裏もある茅葺きの建物の内側では、温かいランプ風の灯りのせいか、時間がゆっくりと過ぎていくようです。

芦ノ湖と箱根権現

箱根の山々に囲まれ、満々と水をたたえる芦ノ湖。その畔に建つのが箱根神社です。かつて、神仏習合が行われた時代、ここは箱根権現と称されました。戦国時代には北条氏が篤く信仰し、家康にも手厚く保護されたとか。


当時は赤い鳥居はなく、また箱根権現の周囲はほとんど権現領だったため一般の人が足を踏み入れることはなかったようですが、存在そのものは広く知られていたことでしょう。芦ノ湖の湖畔に立ち、昔の人々が街道の道筋で足を休めながら箱根権現を遥拝したのではないかと想像を膨らませると、なんだか愉しい気持ちになってきます。

杉並木

江戸時代、街道整備をした江戸幕府は、街道沿いに並木を植えるように命じたそうです。その多くは松の木で、旧箱根街道でも初めは松を植えたのだそうですが、気候のせいか松は育たず、杉に替えられたのだとか。現存する杉並木の杉、およそ400本。さて、往時はいったい何本あったのでしょうか。

道の両側に並ぶ木の列を見ていると、街道の道筋をわかりやすくし、日差しや寒風を遮るという点でも道行く人々の助けになったのだろうなと思います。天気の良い日に見上げれば、木々の間から青空がリボンのように見え、清々しい気持ちになります。そして高くそびえる木々の間を歩いていると、わらじを履いた旅人や飛脚とすれ違いそうな気持ちになるから不思議です。

箱根関所

全国に53か所あまり作られた関所の中でも、もっとも重要な関所のひとつに数えられたのが箱根関所。ここは、往来を禁じられた芦ノ湖と立ち入りを禁じられた屏風山に挟まれた絶好の場所でした。設置されたのは江戸時代の初期、1619(元和5)年、2019年は400周年にあたります。江戸時代末に解体されましたが、2007(平成19)年に復元されました。

復元された箱根関所は、旅人を改める場所のほか、役人たちや足軽たちの詰めていた部屋や台所なども再現されていて、関所で働いていた人々の日々の様子に思いを巡らせることができます。関所の両側に設けられた門は、それぞれ江戸口御門、京口御門と名付けられており、東西から来た人々の流れが目に浮かぶような気がします。

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