はこワク!ガイド
人材シェア事業インタビュー
自社の強みを再発見し、箱根の魅力を磨く。
一の湯が踏み出した「人材シェア」という一歩
店舗運営部長 千葉さん(写真左) 店舗運営本部長 大野さん(写真右)
日々多くの観光客が訪れる箱根。その一方で、観光地としての魅力をどう磨き続けていくかは、地域全体の大きなテーマでもあります。
そんな中、箱根を支える「働く人」に新たな可能性を見出す試みが行われました。箱根で9つの宿泊施設を展開する株式会社一の湯が初めて挑んだ「人材シェア」です。
観光庁「宿泊施設における人材共有効果実証事業」の一環として、一の湯のスタッフ2名が箱根町内の別の宿泊施設で一定期間働くというこの取り組み。“外で働く”経験は、スタッフに、そして企業に、どのような変化をもたらしたのでしょうか。
今回はこのチャレンジについて、株式会社一の湯 本部長の大野さんと、実際に現場に立った千葉さんに、それぞれの視点から語っていただきました。
課題は慢性的な人材不足。初めての取り組みに挑んだ理由とは
―今回、人材シェア事業に参加された背景と、そのきっかけについて教えてください。
大野 宿泊業界全体の課題ではありますが、コロナ禍を経て人材不足は慢性化していました。コロナ明けには離職者も相次ぎ、現場の人手が一気に足りなくなった実感があります。採用も思うように進まず、定着や育成にも時間がかかる中で、安定したオペレーションの構築が大きな課題でした。
そうした中でお話をいただいたのが、観光庁が進める人材活用プロジェクトです。人材不足という業界共通の課題に対して新しい手法を検証する取り組みに意義を感じ、参画を決めました。
―企業としては、どのような効果を期待されていたのでしょうか。
大野 一番の狙いは、スタッフにとって新たな気づきや学びの機会になることです。他社で働くことで、一の湯の良い点や改善すべき点を客観的に見つめ直し、その発見を現場に還元していく。そうした循環が生まれることを期待していました。
また、働きたい人と働ける場所を企業間でシェアすることで、労働力の需給が本当にマッチするのかを検証したいという考えもありました。
―「スタッフを外に出す」ことに、不安はありましたか?
大野 そうですね。本人にとっても少なからず負担はありますし、現場にきちんと受け入れてもらえるのかという心配もありました。加えて、他社のほうが良いと感じてしまい、人材が流出するリスクもゼロではありません。だからこそ、事前に目的をきちんと説明し、納得してもらった上で送り出すことを重視しました。
初めての取り組みですから、うまくいくかどうかはやってみなければ分かりません。ただ、実証実験として挑戦すること自体に意味があります。成功でも失敗でも、そこから見えてくる課題を整理し、次につなげていく。その積み重ねが大切だと考えたのです。
17年目のベテランが、同業他社の“新人”として働いてみたら
―続いて、実際に箱根町内の宿泊施設「マイユクール祥月」での勤務を経験された千葉さんに伺います。まず、普段は一の湯でどのような仕事をしているのか教えてください。
千葉 一の湯に入社して17年、現在は部長として各店舗の運営マネジメントを担当しています。各店舗のワークスケジュールをもとに、レストランのオペレーション、人員配置の調整を行い、必要に応じて現場に入ってサポートすることもあります。
―その千葉さんが、今回マイユクール祥月で実際に現場に立たれたわけですね。どのような業務を担当しましたか。
千葉 実証実験の期間中に3回現地へ行き、夕食のホールスタッフとして働きました。マイユクール祥月の制服を着て、お客様のご案内や料理の提供を担当しました。
―普段は管理職の立場ですが、今回は現場スタッフとして入られました。どんな心構えで臨まれたのでしょうか。
千葉 現場の方たちは、私が「一の湯の人」だということは分かっていても、役職までは知りません。だからこそ“新人の気持ち”で入ろうと決めていました。あえて事前にマイユクール祥月のことは調べず、ゼロから新しい環境を体験するつもりで現場に入りました。
―実際に「マイユクール祥月の新人」として働いてみて、どんなことを感じましたか。
千葉 一の湯でもホールスタッフの経験はありますので、業務自体には比較的スムーズに適応できたと思います。お客様をお迎えしてお席へご案内し、料理を説明してドリンクや前菜を提供する。この一連の流れは身体に染みついているので、自然と溶け込めました。
一方で、サービスのスタイルの違いはとても新鮮でした。一の湯は「全員で全テーブルを担当する」スタイルで、全体のタイミングをそろえて進行します。
対して、マイユクール祥月は、1人のスタッフが3〜4テーブルを固定で受け持つ「担当制」です。お客様の会話の様子に合わせて提供の間を調整したり、テンポを変えたりと、柔軟なサービスができる設計になっています。同じ宿泊業でも、サービスの設計や考え方にこれだけ違いがあるのだと興味深く感じました。
外に出たからこそ見えた、自社の価値と働く意義
―他社を経験したことで気づいた、一の湯らしい強みは何ですか?
千葉 一の湯のスタイルは、少人数でもしっかりとホール全体を回せるところに強みがあると改めて感じました。生産性を高めながら、安定したサービスを提供できる。その点は大きな価値だと思います。
実際、昨日レストランホールを担当した人が翌日はキッチンで調理をする、皿洗いをしていた人が次の日はホールに立つ、さらには同じ夕食営業の中で役割が入れ替わる、ということが日常的に起きるのが一の湯です。
こうしたマルチタスクの働き方は、自分にとってしっくりきますし、職場としての「一の湯らしさ」を感じる部分でもあります。
―一の湯に戻ってきてから、ご自身の働き方や意識にどんな変化がありましたか?
千葉 マイユクール祥月で共に働いた皆さんから、本当に良い刺激をいただいたと思っています。
例えば、グラスの持ち方や食器の置き方、制服の着こなし、靴をきれいに磨くこと。どれもサービス業に携わる者としては基本的なことですが、同業他社の皆さんがそれを徹底している姿を目の当たりにして、「自分たちももっと意識を高めていかなくては」と背筋が自然と伸びるような感覚がありました。良い影響を受け、働くモチベーションが上がったのは間違いありません。
―千葉さんが戻ってきた際、大野さんから見て変化を感じた部分はありますか?
大野 サービスの質は、確実に底上げされたと感じています。
一の湯の強みは、チーム全体で現場を支えるオペレーションにあります。誰かにミスがあっても、周囲が自然とフォローに入れる体制は、大きな強みです。一方で、チームワークを重視するからこそ、個々の緊張感が緩みやすい側面も否定できません。
マイユクール祥月さんのような担当制の現場では、一人ひとりが自分の持ち場に責任を持つ。その「自分が最後の砦だ」という意識が、サービスの質を支えているように映りました。
そうした環境で得た学びを千葉が持ち帰り、その意識が少しずつ現場全体に波及しているのは、組織として非常に良い変化だと受け止めています。
人材の循環を通して、成長を支え合う地域へ
―今回の取り組みを通して、人材シェアがスタッフの定着やモチベーションにどう寄与すると感じていますか?
大野 働く本人にとって、外に出る経験は大きな刺激になります。その経験がモチベーションの向上につながり、「ここで働き続けたい」という気持ちを育てるきっかけになる。人材不足や定着の課題に向き合う上でも、有効な取り組みだと感じています。
―「一つの会社に縛られず、地域全体で成長を支え合う」という働き方は、今後の観光業界にどう影響すると思いますか?
千葉 例えば、日中は美術館で働き、夜は旅館で働く。そんな働き方も、これからは十分に考えられます。宿泊業界に限らず、観光業界全体で人材が行き交うようになれば、個々の現場だけでなく、業界全体の底上げにもつながっていくはずです。
複数の施設で働くことで、箱根というエリアそのものへの理解も深まります。その結果、お客様に対して、より踏み込んだ案内ができるようになる。いわば「ミニコンシェルジュ」のような役割を担う人材が、自然と増えていくイメージですね。
大野 箱根は人口が減少しており、「働く場としての箱根」という視点でも課題があります。人材が箱根の中で留まり、循環できる仕組みができれば、観光産業としても持続可能な形に近づくと思います。
例えば、ある宿泊施設を退職した人が、そのまま箱根を離れてしまうのではなく、別の施設で働くという選択肢を持てるようになる。そうした受け皿の一つにもなり得るのが、人材シェアだと考えています。
―最後に、これから箱根で働こうと考えている方、あるいは新しい挑戦を迷っている現役スタッフへメッセージをお願いします。
千葉 他社で働く機会があるなら、ぜひ活用してほしいですね。外からサービスを受けるのと、実際に中に入って働くのとでは、見える景色がまったく違います。必ず自分のプラスになる経験だと思います。
大野 人材を取り巻く環境は、以前とは大きく変わっています。企業としても固定概念にとらわれず、新しい取り組みに挑戦していくことが求められていると感じています。
比較しなければ、自社の良いところも課題も見えてきません。外で学んだことを持ち帰り、自社の改善に活かす。その積み重ねが、箱根全体の人材不足の解消、ひいては地域の活性化につながると、今回の取り組みを通じて確信しています。










