寄木細工にかける情熱

箱根寄木細工 伝統工芸士
本間 昇
HONMA NOBORU
1931年生まれ
有限会社 本間木工所
 御年九十歳、今尚現役の伝統工芸士。

16歳で父、亘氏に従事し、箱根寄木細工の世界に入る。
御年90歳(2022年現在)。だが頭は冴え渡り古い出来事も年代から月までまるで昨日のことのように語る。そしてその脚力たるやとてもじゃないが90歳とは思えない。 店舗の二階に構える本間寄木美術館に向かう階段も、一段飛ばしで登るかのような軽快な足つきで、年齢詐称を疑う。

伝統工芸士としての活動は大きく分けると「後継者の育成」と「需要開拓(販路開拓)」の二つに大別されるという。
自身の技術力を評価された伝統工芸士認定は誇りも感じつつも、責任の重さの方を感じられた本間氏。

寄木細工の魅力
寄木細工の魅力

私たちが作っているのは
作品ではなく
商品なんです。

本間氏は言う「後継者育成ももちろん重要なのですが、まずは販路開拓をして作品、いえ、商品が売れないと後継者もついてこないと思うんです」
「商品が売れてこその後継者育成だと思っているので、販路開拓に繋がることはなんでもやりましたし、新潟でこういう催しがある、九州で展示会がある、いや、海外だって何度も行きましたよ」と。
しかも1986年(昭和61年)に伝統工芸士に認定されるより前も認定後も、必要とあれば駆け付けた。
当時、海外への渡航費用、滞在費はすべて自身が出さなければならない時もあった。

「作家が作るのではなく私は職人」
「職人が作っているので作品というよりは商品なんです」 「だから買いやすい値段を考えるのも販路拡大に欠かせない要因だと思っています」

充分作家としてのそれとしか思えないし、職人というよりはやはり作家としか見えない本間氏にそのことをストレートにぶつけると「いえいえ、私はずっと職人ですし、職人ということに誇りを持っているんです」と少年のような笑顔を見せてくれた。

昭和49年5月25日に公布された「伝産法」、正式には「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」の発布を受けて、伝統工芸品が見直されることになる。 それから10年後の昭和59年に箱根寄木細工が伝統的工芸品に指定される。
そこまでの道のりは決して平坦なものではなかったが、この道のりの中で本間氏は「人生を変えてくれた」作品と出会うことになる。

現在は少し緩くなったが、伝統的工芸品に認定される条件の一つに「江戸時代から伝わっているかどうか」という項目があり、文献としては間違いなく江戸時代から伝わっているのは確かだった。
が、実際の現物がない。
そこでありとあらゆるツテを駆使し、探し回った結果、一般の方が古い寄木細工を持ち込んでこられた。
それを正倉院の方に見ていただき、これはまさしく江戸時代のものだとお墨付きをいただくことができたのである。
それが10年越しの伝産法の指定に繋がったのは言うまでもない。

この寄木細工を見た時、とにかく驚きを隠せなかった本間氏は自らの手でこの寄木細工の複製品を作ることを決意し三年掛かりで完成。
「この複製が私の人生を変えた」と言わしめるくらいの衝撃を受けた本間氏は、技術の保存事業の一環ということもあり本格的に複製製作に取り組むことになる。
これが一つのきっかけとなり、重箱、お盆、文箱、旅枕と多くの江戸時代からの優れた寄木細工に触れられることになった。
中にはお殿様が使われていただろう「寄木細工文台硯」にははっきりと「寄木細工」の文字が記してある作品も手にすることができた。

寄木細工の複製製作は
私の人生を大きく変えた。

複製事業はその後の自らのデザインに多大なる影響を及ぼしてくれていると氏は言う。
その一つが本間氏考案の「古代裂(こだいぎれ)寄木模様」という作品。桃山時代の古布にインスパイアされ古代裂と名付けたものだ。
乱寄木模様だが、古代裂寄木模様の作品にとどまらず、本間氏の製作意欲は今なお顕在だ。そして新しいデザインがまた一つ、また一つと生まれていく。

古代裂(こだいぎれ)寄木模様 古代裂(こだいぎれ)寄木模様
今でも職人と一緒に八時から工房に出てます。

それもそのはず、90歳にしてなお「新作のデザインを考えるため今でも勉強の日々ですよ」と言ってのけられる。
「仕事をするのが楽しいんです」「作品を作るのがとにかく楽しい」「今でも職人と一緒に8時から17時半まで工房で仕事してますよ」と。
「絶えず何かを見ているような気がします。若い時から百貨店に行くと着物の柄を見る、帯を見る、とにかく色んな柄やデザインを目にしてきました」。

圧巻。私自身仕事の楽しさは充分感じているつもりではあったが、本間氏のそれとは次元が違う。取材中感動して思わず涙してしまったのは初めてのことであった。

MOVIE

寄木細工
寄木細工
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