平成10年7月から始めていた畑宿の箱根旧街道沿いに残る一里塚の保存整備が完成しました。
江戸時代の初期、徳川幕府は街道を往来する旅人の目印として、街道の一里(約4km)ごとに「一里塚」と呼ばれる土を盛り上げた塚をつくりました。
箱根旧街道石畳の両側に残る畑宿の一里塚は、江戸日本橋から数えて23里目に当たり、箱根町の中では、湯本茶屋、畑宿、箱根の3か所にあった一里塚の中で、唯一その形態をとどめるものです。
山の斜面にある畑宿の一里塚は、周囲の土を削ったり盛つたりし、さらに石を貼って平坦な面をつくり、その上に直径が約30尺(約9m)の円形になるように石積を築き、礫(れき)を積み上げ、表面に土を盛って、頂上に樹を植えたものであることが、発掘調査から分かりました。
保存整備では、発掘調査で分かった一里塚の構造を復元し、標識樹として、塚の頂上に、畑宿から見て右側の塚には樅(もみ)の木を、左側の塚には槻(けやき)の木を植えました。 直径約9m、高さ約4.5mもの大きさの塚が、石畳道の左右に堂々と復元された姿を目の当たりにすると、言葉でしか知らなかった「一里塚」というものが、これほど大きなものだったのかと分かり、改めてその偉容に驚かされると思います。
場所は畑宿、箱根旧街道石畳の入り口になります。